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2013年09月05日

「宮沢賢治*銀河鉄道を巡る冒険」を巡って1

言葉は、
特に作品として上梓された言葉は
完成された後、
変貌することは珍しい。

けれど誰しも経験しているだろう。
子どもの頃に読んだ童話を
大人になって読むと
ずいぶん違う印象を受けるものと。

読み手の変化が
変わらない言葉の印象を変える。
言葉にはそういう面もある。

読み語りという
文字表現をライブなものに変換する行為も
いわば、そういう言葉の可能性を
信じてのことだ。

今、読み聴く、それぞれの我々に
常に言葉は新しく異なる蓄積を携えて響いてくる。

3年前までの「福島」と
今の「福島」が
善し悪しにかかわらず、
異なって意識されるように。

同じようにそれはまた
作者自身の言葉への想いを知ることによっても
変化するだろう。
それもまたまた
読み手や聴き手のイメージ変化のひとつでもある。

この「宮沢賢治*銀河鉄道を巡る冒険」では
たくさんのイメージが交錯する
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を主軸にしつつ
そこに登場する
「月」や「鳥」「リンゴ」
あるいは「別れ」や「幸い」「祈り」を
語る賢治自身の言葉が
挿入された構成だ。

それは原構成者・長岡登美子氏の
いわば賢治解析の一端と
自分には今は思えるものである。

実は、初演前、初めて
具体的な指示などなく
テキストとして
これを受け取ったとき
我々は途方にくれたのだった。

にもかかわらず、
声にしたとき、
そして健さんのハンマーダルシマーの音色にのせたとき、
そのことは、
いきなりしっかり響いてきたのだった。

「読み語り」への理解もある長岡氏の意思に
そうしてのっかって、
まっつは踊るのである。
いや、踊らないけど。読むのだけれど。
いやいや、実ははっきり
健さんの音と長岡氏の意思に
やっぱり踊らされるのだけれど(笑)。

そして、その響く先にいる皆さんこそが
この長岡氏による賢治のコトバ群の案内によって
それぞれの賢治像(ほとんど像を持たない人も含め)を
出発点に、「賢治銀河への冒険」に
誘われることになる。

時間的都合で、元の長岡氏構成テキストの
一部を割愛しているが、
その可能性は、いささかも減じないはずだ。

13.09.05  続きを読む


Posted by ふとまつ at 14:09Comments(0)作品雑感