「父暮」と「ポギベス」と
●先だっては朗読劇「
父と暮せば」に父・竹造役で出演した。
◯広島被曝数年後のひとつの日常を描いた作品だけに、広島と原爆について改めて意識することになったし、感覚がどこに向かうのか覚悟して臨んだつもりではあった。
●これまでも核廃絶を願う一人ではあったし、それが変わったわけではないが、こうして具体的な人間が描かれたドラマに寄り添うと、その「具体的」な痛みを追体験することになるというか、抽象的な忌避感とか批判感ではなく、例えば「原爆瓦」の質感とかそういうものが気になって、なるたけ体感をシミュレーションしたりしてた。
◯何度となく積み重ねて残った竹造の感覚は、意外にも恨みも憎しみも持っていないものだった。桃太郎になりかわって、そこで始めは鬼をアメリカに見立てて憎しみを載せてみたこともあったんだけど、結局それで定着はしなかった。
●むしろだんだん原爆そのものに対しての怒りになっていたような気がする。今、ふりかえって。
◯そしてそこから残っていく竹造の想いは、生き続けたいという想い。恨みより憎しみより何より、自分が失った命を受け継ぐものたちが続くことへの願いになっていた。
●だから、竹造の意識が残っていても(いまも多少は残っているのだが)、むしろ清々しく思えている。
◯ああ、いろんな複雑な想いは、全部、美津江が受け持っていたんだな。そう思える。
とまあ、こんな風に、ひとつのドラマに寄り添うと、とりわけ登場人物としている時間を持つと、それがリアルな意識を産み出すもんだから、予想外のものを残してくれることは多い。
☆さて次は1920年代のアメリカ。
樂♪togetherで、「ポーギーとベス」というお話に基本的には語り手として付き合う。まあそれだけだから、そんなに深く入り込むことにはならないと思うけど、やっぱりいろんなことを考えさせられる。
★何しろ、まずは今回の企画にふさわしいテキストを作ることから始めているのよ。それがあともうちょっと。それからやっと語り手になれるのだ。
☆といっても全体の主役はピアノたち。ガーシュインの楽曲をたっぷりお聞きになりたい方にお薦めですよ。
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