2024年07月06日
OrgofA「父と暮せば」@Bloch25-03-13大幅加筆


「熱演」でした~。すごいな。感想書きにくい。まだしばし寝かしとく。
[25-03-13大幅追記]
当日感想を後日編集
当日帰宅してから書き殴った感想を、改めて8ヶ月経った今、整理して載せておく。
観覧したのは「明 逸人×服部 一姫」組。
まずは自分の書いた感想の、最初の一言が「熱演でした」(以下「」内は当日感想の自己引用)。
そうなのよ「強い怒りや主張がスコーンと出てくる。それはそれで小気味いいのだし、引くときはちゃんといているからしっかり工夫されている」。
これね、自分がまた翌月にこの作品やるっていう状態だったから、たぶんどうしても他我の相違みたいなとこに、否応なしに意識は行ってしまってたと思う。
「我々、たぶん、もっと抜けてる」。彼らは演劇で、我々は朗読劇だという違いはもちろんあるのだけど。今思うと、朗読劇だからこそ、ときには間抜けな存在としていることもしやすかったのかも。
おっと次に冒険報告する予定の自分たちのことに話が行ってしまった。でもともかくもなんにしてもこの「熱演」は、非常に好感の持てる熱演だった。けど、こう書いていたのは暗示すらしてないけど、自分がもうあんな熱演はできないなあという羨みの眼差し的な側面もあったんだと思う。
その上で、「気になったのは美津江が装置の箱を動かすとこ」「そこそこ美津江の感情で行動してたと思うのではあるけど、その行動が、美津江としてどういう意図での行動なのか見えてこなかった」。
なんていうか、進むにつれだんだんあの工程が「段取りだけに見えてきた」みたいだ、おいら。「最後直前の竹造が埋まってる状況を作るためだけにやったみたい」で、それはなんかあんまり感心できなかっというか、あざとさが立ってしまってたように感じて、そんなこと書いてたんだと思う。
もしかしたら飛世バージョンでは、そこんとこ同じことしててもうまく迂回して意味を連ねていたのかもしれないとも思った。そういうこともあるからダブルキャストはおもしろい。ああ経済的余裕があったら観てたのにぃ。どうも世の中はおいらに余裕をくれないっショボン
ついでに「その箱の動かしのとき、美津江が動かそうとするのを竹造が何度か制するとこがあったんだけど、そこもよくわからんかった。何がしたかったんだろう。なんか伝わってこなかった」って書いている。それに該当するシーンは、今やもう思い出せない。けど自分「ごめんなさい、おれが最近の演劇的な文体について知らなすぎか」って反省までしてるから、かなり不可解だったんだと同時に、それでも意図が間違いなくあるはずと受け止めてたと思う。
そのあたりのこともおそらく含めて、当日感想は最後のシーンに対して「あとは最後かなあ。竹造が去っていくときにまた後ろ側の箱をよけて、そこに草が生えてるんだけど、それは象徴としてはわかるけど、そこでそれを見せられる意味がよくわからんかった。ああ、総じて、道具というか舞台道具の使い方に違和感というかなんか腑に落ちなさが多かったな」と締めくくってる。
でもね、いりこ味噌をほぼ舞台上でリアルタイムに作ってたのには「すごいな」と脱帽のコメントを残してたよ、まっつ。
いろんな意味で啓発されてたからこそ、当日そこまであれこれ書いてたんだなあ、自分。
24.07.06 観覧初期コメント。固定
25.03.13 感想大幅追記
25.03.13 感想大幅追記
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