2024年08月31日
「走れメロス」(5)
(1)⇦ (4)⇦「走れメロス」(5) ⇨(5の後おまけ) ⇨(7)当日用資料
まっつの読みはどうなる?
今回、シルレルとの比較を通して、太宰の狙いを読み取るようなことになった。最初っからそれを狙ってたわけではないのだけど。
そこに浮かび上がってきたのは「家族や隣人との平穏な日々」の尊さ。そんなとこだって気がするな。
なにせシルレルでは、フイロストラトスは「メロスの家の留守をしていた忠僕」。つまりメロスはシラクスに住んでいた。それを太宰は「村の牧人」という設定に変えているんだから。
わざわざその点を変更してまで膨らませているのだから、太宰が語り届けたかったことはそのへんのことなんじゃないかな。
別にだからって、それに従わなくちゃいけないとは思わないけど、まあ今回読む際には、せっかくだからその線を強めに残すようにしてみようと、なんとなく思ってる。
ちゃんとそのようになるのかどうかは、まだ未知数だけどね。もう少しあれこれ試してみないと。
一応、今回、従来よりメロスでいる率を下げようと思ってたんだけど、うーん、村との距離感が変わっていくあたりは、やっぱメロス視点に戻しといたほうがいいのかも、なんて思ったり、わあ、なんか悩ましいことになったぞ。
果たして、どうなるか。乞うご期待。(連載・完)
(4)⇦ ⇨(5の後おまけ) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
まっつの読みはどうなる?
今回、シルレルとの比較を通して、太宰の狙いを読み取るようなことになった。最初っからそれを狙ってたわけではないのだけど。

なにせシルレルでは、フイロストラトスは「メロスの家の留守をしていた忠僕」。つまりメロスはシラクスに住んでいた。それを太宰は「村の牧人」という設定に変えているんだから。
わざわざその点を変更してまで膨らませているのだから、太宰が語り届けたかったことはそのへんのことなんじゃないかな。
別にだからって、それに従わなくちゃいけないとは思わないけど、まあ今回読む際には、せっかくだからその線を強めに残すようにしてみようと、なんとなく思ってる。
ちゃんとそのようになるのかどうかは、まだ未知数だけどね。もう少しあれこれ試してみないと。
一応、今回、従来よりメロスでいる率を下げようと思ってたんだけど、うーん、村との距離感が変わっていくあたりは、やっぱメロス視点に戻しといたほうがいいのかも、なんて思ったり、わあ、なんか悩ましいことになったぞ。
果たして、どうなるか。乞うご期待。(連載・完)
(4)⇦ ⇨(5の後おまけ) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
2024年08月25日
2024年08月24日
23.09.18 イベントコラボ参加@中央区
第三回アートフェスティバル閃「閃LIIVE」参加報告。
11ヶ月ちょい遅れ。ついに1年を切ったぞ。
http://mghj.air-nifty.com/mats/2024/08/post-3d39de.html
11ヶ月ちょい遅れ。ついに1年を切ったぞ。
http://mghj.air-nifty.com/mats/2024/08/post-3d39de.html
2024年08月24日
「走れメロス」(4)
(3)⇦ 「走れメロス」(4) ⇨(5) ⇨(7)当日用資料
作品ツッコミの続き。
一方、結婚式も含めた自宅シーンは、シルレルではたった2行。王の元から去った次の行ではもう「そして三日目の朝〜急いで急いで妹を夫といっしょにした彼は」帰路についてしまう。
シルレルではタイトル自体が「人質」ってなってるように友人との関係に照準をあててたけど、太宰は家族との関係のことも描いているってことになるかな。でもだったらシルレルさん、友人を名無しですませないでよ。
太宰は、しっかり「ほんとは家にいたい」という内心を何度も出してるほどだもんね。妹に、そして妹婿に、それぞれに対して心境からくる言葉を遺言のように投げかけるほどに。
そっから先、氾濫する川を渡るシーン、強盗を返り討ちにするシーン、そして動けなくなって清水に救われるシーン。その手順はメロスもシルレルのまま。ただ一点違いがあるとすれば、諦めの心情はシルレルにはない。
この後、状況をそれとなく伝える二人の人の会話内容、フイロストラトスの声かけ、そのへんも基本的な線はそのまま。とはいえ「なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っている」という理由づけは、太宰オリジナルなんだね。(フィロストラトスの立場も変えている)
結末部分でも、ドラマチックな頬を互いに殴らせるシーン、さらに少女がマントを捧げるエピソード、そのどちらも太宰オリジナル。むしろ王が「仲間」になることを望む展開はシルレルにもあったわ。
んー、なんか展開の違いを示すだけで今回は終わってしまって、ちっともツッコミになってない。王の改心あたりが太宰オリジナルだったらツッコんでたとこなのに、原作通りだった。
全体に友人との関係に対して、家族の意義をより強めに持たせたというのが、太宰版の特徴と言えますかね。
(3)⇦ ⇨(5) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
作品ツッコミの続き。
一方、結婚式も含めた自宅シーンは、シルレルではたった2行。王の元から去った次の行ではもう「そして三日目の朝〜急いで急いで妹を夫といっしょにした彼は」帰路についてしまう。
シルレルではタイトル自体が「人質」ってなってるように友人との関係に照準をあててたけど、太宰は家族との関係のことも描いているってことになるかな。でもだったらシルレルさん、友人を名無しですませないでよ。
太宰は、しっかり「ほんとは家にいたい」という内心を何度も出してるほどだもんね。妹に、そして妹婿に、それぞれに対して心境からくる言葉を遺言のように投げかけるほどに。

この後、状況をそれとなく伝える二人の人の会話内容、フイロストラトスの声かけ、そのへんも基本的な線はそのまま。とはいえ「なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っている」という理由づけは、太宰オリジナルなんだね。(フィロストラトスの立場も変えている)
結末部分でも、ドラマチックな頬を互いに殴らせるシーン、さらに少女がマントを捧げるエピソード、そのどちらも太宰オリジナル。むしろ王が「仲間」になることを望む展開はシルレルにもあったわ。
んー、なんか展開の違いを示すだけで今回は終わってしまって、ちっともツッコミになってない。王の改心あたりが太宰オリジナルだったらツッコんでたとこなのに、原作通りだった。
全体に友人との関係に対して、家族の意義をより強めに持たせたというのが、太宰版の特徴と言えますかね。
(3)⇦ ⇨(5) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
2024年08月20日
「走れメロス」(3)
(2)⇦ 「走れメロス」(3) ⇨(4) ⇨(7)当日用資料
今回は作品ツッコミ。

「メロスは激怒した」で始まるこの作品。うまいよね。その後、怒りの発端事情にいったん退いて、そこからその瞬間に向かうシーンを展開する。
初期のソロ読みでは、下手したらこの最初からもうメロス激怒しちゃってたかもだなあ。主体と客体の使い分けがまだまだ甘かったというべきか。
あららそれだと、作品ツッコミではなく、まっつツッコミではないか。…そんなことじゃなくて。
最初に「?」ってなるのは、多くの人がそうかどうかわからんけど、今回改めてテスト読みしたときにも思ったのだが、セリヌンティウスを身代わりにする展開部分。あまりに簡単ですぎないか。他にもそういう指摘は多々あるようですけど。
久々に会いにきて、でもまだ会えてないんだよ。身代わりにするとしてももう少し申し出方というか、当人への伝え方に対して配慮あっていいんじゃないか。そんな違和感。
さて本文最後に記された出典「シルレルの詩」のシルレルって、シラーのことなんだってね。あんまり海外詩を知らない人でも、シラーという名は聞いたことあるかもだよね。ベートーベン「第九」歓喜の歌の原詩もこの人。
お伝えしたいのは、そのシルレルの詩と比較してのこと。太宰のこの作品は、シルレル作品「人質」に対して、削ったシーンより新たに加えたシーンのほうが圧倒的に多いのだけど、このシーン、シルエルでは友をメロスが尋ねて事情を説明し「人質」になってもらう展開だったのが、太宰ではそれがなくて、刑場に連れてこられた友と久々に「相逢う」のだ。
なんだろな、これ。この割愛。自分から説明にいって身代わりになってもらうのと、もう連れてこられて身代わりにならざるを得なくなった相手に事情を説明するのとでは、相手との関係、だいぶ違わないか。太宰のメロスはセリヌンティウスに対して、「無慈悲」にすら思えてくる。いくら「単純な男」とはいえ。「竹馬の友」といえ。
太宰は、どうしてそうしたんだろう。勝手な推論だが、太宰はそのくらいにお互い信頼できる関係を、激しく希求してたってことなんじゃないか。そしてそれはその気持ちの底に、ここに登場する王「ディオニス」と同じように「信頼への疑念」があったからこそなのかもしれない。(強引)
ついでにいうと、シラーはこの「友」の名は記してない。フィロストラトスの名はしっかり登場させているのに。
(2)⇦ ⇨(4) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
今回は作品ツッコミ。

「メロスは激怒した」で始まるこの作品。うまいよね。その後、怒りの発端事情にいったん退いて、そこからその瞬間に向かうシーンを展開する。
初期のソロ読みでは、下手したらこの最初からもうメロス激怒しちゃってたかもだなあ。主体と客体の使い分けがまだまだ甘かったというべきか。
あららそれだと、作品ツッコミではなく、まっつツッコミではないか。…そんなことじゃなくて。
最初に「?」ってなるのは、多くの人がそうかどうかわからんけど、今回改めてテスト読みしたときにも思ったのだが、セリヌンティウスを身代わりにする展開部分。あまりに簡単ですぎないか。他にもそういう指摘は多々あるようですけど。
久々に会いにきて、でもまだ会えてないんだよ。身代わりにするとしてももう少し申し出方というか、当人への伝え方に対して配慮あっていいんじゃないか。そんな違和感。
さて本文最後に記された出典「シルレルの詩」のシルレルって、シラーのことなんだってね。あんまり海外詩を知らない人でも、シラーという名は聞いたことあるかもだよね。ベートーベン「第九」歓喜の歌の原詩もこの人。
お伝えしたいのは、そのシルレルの詩と比較してのこと。太宰のこの作品は、シルレル作品「人質」に対して、削ったシーンより新たに加えたシーンのほうが圧倒的に多いのだけど、このシーン、シルエルでは友をメロスが尋ねて事情を説明し「人質」になってもらう展開だったのが、太宰ではそれがなくて、刑場に連れてこられた友と久々に「相逢う」のだ。
なんだろな、これ。この割愛。自分から説明にいって身代わりになってもらうのと、もう連れてこられて身代わりにならざるを得なくなった相手に事情を説明するのとでは、相手との関係、だいぶ違わないか。太宰のメロスはセリヌンティウスに対して、「無慈悲」にすら思えてくる。いくら「単純な男」とはいえ。「竹馬の友」といえ。
太宰は、どうしてそうしたんだろう。勝手な推論だが、太宰はそのくらいにお互い信頼できる関係を、激しく希求してたってことなんじゃないか。そしてそれはその気持ちの底に、ここに登場する王「ディオニス」と同じように「信頼への疑念」があったからこそなのかもしれない。(強引)
ついでにいうと、シラーはこの「友」の名は記してない。フィロストラトスの名はしっかり登場させているのに。
(2)⇦ ⇨(4) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
2024年08月18日
「走れメロス」(2)
(1)⇦ 「走れメロス」(2) ⇨(3) ⇨(7)当日用資料
2007年初演のときから「走れメロス」でまっつは走ってたみたいなんだ。といっても狭いスペースでのライブがほとんどだったから、ほぼ全面的にスタンディングラン。ただその最盛期にもっとも広くスペースを使えた2009年やまびこ座での上演時には、スタンディングランが軸ではあるけど、行き来描写の強いとこではけっこう広く走り回ったりもしていたわ。
冒険報告「やまびこ座」メロス上演まっつBOOKing first-4
あ、これ、一部はYouTubeで映像公開していました。
冒頭部分(劇場版「走れメロス」1)。ここは走るシーンじゃないけどね。
改めて見たら、なんかずいぶん口が回ってるなあ。今はここまでの速度では読まないだろうなあ。でも、あらあら、なかなかおもしろいじゃないの。そしてちなみに当時は、メロス以外の人物のセリフのとき以外は、ほとんどメロス主格のスタンスで動いてた。きっと今ならそうしない。体力的な問題が大きいけど、それだけでなくたぶんもっと「間」を多用すると思う。
YouTubeには、5分割したうちのもうひとつ載せてる。最後の前。
磔台に上るまで(劇場版「走れメロス」4/5)
ここがほとんど走りのシーン、中でもいろんな場を巡るシーンではステージ内走り回ってた。
そして驚いたことに、この2009年劇場版では、広いスペースを使ったにもかかわらず、32分半で読み終えてました。初期ソロで37分くらいだったものが、かえって展開速くなってたんだな。
これ、メロスも急いでたけど、まっつも急いじゃっていたのかもですね。
(追記)ちなみに今回取り上げる以前、最後にメロスをやったのは、2013年7月)。唯一の音楽とのコラボスタイルのときだったみたい。わお、そこからでももう10年も経ってる。たとえ望んだとしても、同じようにはできませんね(爆)。
(1)⇦ ⇨(3) ⇨(7)当日用資料 続きを読む

冒険報告「やまびこ座」メロス上演まっつBOOKing first-4
あ、これ、一部はYouTubeで映像公開していました。
冒頭部分(劇場版「走れメロス」1)。ここは走るシーンじゃないけどね。
改めて見たら、なんかずいぶん口が回ってるなあ。今はここまでの速度では読まないだろうなあ。でも、あらあら、なかなかおもしろいじゃないの。そしてちなみに当時は、メロス以外の人物のセリフのとき以外は、ほとんどメロス主格のスタンスで動いてた。きっと今ならそうしない。体力的な問題が大きいけど、それだけでなくたぶんもっと「間」を多用すると思う。

磔台に上るまで(劇場版「走れメロス」4/5)
ここがほとんど走りのシーン、中でもいろんな場を巡るシーンではステージ内走り回ってた。
そして驚いたことに、この2009年劇場版では、広いスペースを使ったにもかかわらず、32分半で読み終えてました。初期ソロで37分くらいだったものが、かえって展開速くなってたんだな。
これ、メロスも急いでたけど、まっつも急いじゃっていたのかもですね。
(追記)ちなみに今回取り上げる以前、最後にメロスをやったのは、2013年7月)。唯一の音楽とのコラボスタイルのときだったみたい。わお、そこからでももう10年も経ってる。たとえ望んだとしても、同じようにはできませんね(爆)。
(1)⇦ ⇨(3) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
2024年08月18日
2024年08月17日
2024年08月17日
2024年08月17日
「走れメロス」(1)
「走れメロス」(1) ⇨(2) ⇨(7)当日用資料
初めてメロスを知ったのは、たぶん国語の教科書。おそらく中学時代かと思う。今でも中学校教科書に載ってるらしいよね。自分が読んだのは全文だったのかなあ。きっと違うな。と思ったら「のちに問題と なる『少女の場面』も省略されておらず、全文が採録されている。(《1956 年、教材「走れメロス」の生成》より)」。自分も全文読んでたってことか。
まあそれによって、そこそここのお話は記憶残ったはずとは思う。ただし学校でこの作品を通して何を習ったかは覚えてない。なにせ50年以上前の話だしね(^^;
次にはっきり意識して読んだのは、中学生当時からは35年以上経った2007年。はい、読み語りました。
参照:冒険報告「2007.5.26紅茶夜会12」
この報告文中からリンクしている「ニュアージュさんブログ」はまだ残存してて、そこでは当時のまっつの姿も見られる(爆)。わ、今からだと17年前なのかあああ。
(続…いた) ⇨(2) ⇨(7)当日用資料 続きを読む

まあそれによって、そこそここのお話は記憶残ったはずとは思う。ただし学校でこの作品を通して何を習ったかは覚えてない。なにせ50年以上前の話だしね(^^;
次にはっきり意識して読んだのは、中学生当時からは35年以上経った2007年。はい、読み語りました。
参照:冒険報告「2007.5.26紅茶夜会12」
この報告文中からリンクしている「ニュアージュさんブログ」はまだ残存してて、そこでは当時のまっつの姿も見られる(爆)。わ、今からだと17年前なのかあああ。
(続…いた) ⇨(2) ⇨(7)当日用資料 続きを読む
2024年08月15日
2024年08月15日
2024年08月12日
23.08.06 朗読劇出演@中央区
23年8月の朗読劇「父と暮せば」報告。
1年と数日遅れ。次は1年を切れるかっ。24年の本番も終えてからの報告になりましたが、改めてみなさまありがとうございました。
http://mghj.air-nifty.com/mats/2024/08/post-7f32e2.html
1年と数日遅れ。次は1年を切れるかっ。24年の本番も終えてからの報告になりましたが、改めてみなさまありがとうございました。
http://mghj.air-nifty.com/mats/2024/08/post-7f32e2.html
2024年08月10日
2024年08月08日
2024年08月06日
2024年8月6日(火) 朗読劇出演@西区


一昨年・昨年に続き、
原爆投下から数年後の広島を舞台とする
父と娘の交感物語をお届けいたします。
8月6日です。平日ですがこの日です。夜です。
そして昨年までと上演スペースを変えました。
西区・レッドベリースタジオです。
より手応えのあった昨年の方向を
特に変更することなく進めるつもりでしたが、
合わせていくにつれ、
なんだかまた違う雰囲気が生まれそうになっています。
新しい場に、どういう父娘が出現するのか。
ぜひとも、共に今を生きる
たくさんの老若男女に
ご覧いただければと願っております。
*+-
朗読劇「父と暮せば」
作:井上ひさし
場所:レッドベリースタジオ
西区八軒2条西1丁目札幌琴似教会裏(011-633-2535)
出演:<朗読>石橋 玲 ヨミガタリストまっつ
<音楽>石橋 俊一 たっち
ドラマドクター:櫛引ちか(我等、敵モドキ / 瓶詰企画)
料金:一般3000円・ペア割2人で5000円
協力:BAKU Pro. ヨミガタリを楽しむ会
+-*
※参照:前年告知
追記(4/6)
2022年の記録報告をようやくリリースしたのでこちらもご参照あれ。
http://mghj.air-nifty.com/mats/2024/04/post-3f056e.html 続きを読む