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2024年04月27日

「この生は受け入れがたし」@パトス。感想追加(5/11)

「この生は受け入れがたし」@パトス。感想追加(5/11)
すぐに感想は書きがたし。

+平田オリザ作品を、え、コメディだったのってくらい
ここならではのソリッドさで展開。
まだ明日もある公演なので、これだけ追記。4/27・21:18

いや、コメディって後から劇団投稿観て知ったのだけどね(爆)。

━-━
(以下5/11追記)
先に終盤に書いた段落を先行して載せておく。
これで「読む必要ない」と思ってくれていい駄文ですので。

[先行再掲載]
< わっ、ここに至ってもなんかただ同じところをぐるぐる回って書いてるだけに思えてきた。すみません。これ読まなくていい駄文だわ。でも「こやつ、こんなしょうもないことも書くやつだ」とお心得いただくために、一応載せよう。そして冒頭にこの段落を先に重複掲載しておこう。>

[本文]
 わたくし、上にも書いたけど、終始「コメディ」と思わずに観ていた。
 だから「そうだったのかあ」って思った途端、この劇団のコメディ性ってどういうとこかと反芻してみるとこから始まってしまって、直後の素直な感想はどっかに弾け飛んでしまったかもしれない。
 そんな経緯もあるけれど、ひとまずリアルタイムに観ていた間に去来したことのうち、思い出せることを書いておく。

 芝居の序盤で、誰かの言葉に他の複数人が「間(ま)」をおいて同時多発に反応するところが数回あったと思うのだけど、その「間」に少し違和感あったのね。どういう違和感か、言葉にするのは厄介だなと思って、今日(2024-05-07)まで寝かせてしまってた。

 おそらく初心者がやってしまいがちな、バレバレのタイミング合わせはしてなかったと思う。「偶然かぶった」という作り方にしてたんだと思う。それはいいんだ。
 それはいいんだけど、なんかタイミング合わせに見えないようにする努力というのか、そのために「あえて同じく反応する側の人の様子を見ない」ような律儀さがあったように感じちゃったのね。いやー言葉にするとそういうことか。勝手な曲解かもだけど。

 日常度の高いこの作品にとって、その日常的な反応のありかたはけっこう大事だったはず。だからこそそのように「演劇っぽくタイミングを合わせる」ことを避けてたんだとは思うのだ。
 だが、その「避ける」指向が、本来の日常であればお互い自分自身の能動性によって別の反応者の様子も受け取りながら、それぞれの処理速度に応じて反応を投げかけるはずで、「それがたまたま同時だった」というふうになりたかったところをそうじゃなくしてしまったのじゃなかろうか。ん、なんか回りくどいか。
 つまりその時間を費やす「間」の中の相互性が失われてしまってたことで、むしろ日常的な同時性であることが損なわれていたのではないか。

 自分は、どうやらそう感じたっぽい。曲解かもしれない受け取り方の上に立ち上げた推測なので、とんでもない誤解かもしれないけど。
 当日自分で書いた「この劇団らしいソリッドさ」っていうのは、上記に出した「律儀さ」のことなんだろうといまさらながら自分の言葉で納得する。

 さてあらほかにもリアルタイムに思ったことあったんだけど、メモってないからほぼ忘れた。あれ、メモった気してたんだけどな。

 あったあった。メモあった。あら。上記で指摘したことを書いてたはずと思ってたけど、文面でみると全然違う内容だ。
 「前半の小さな気づきあれこれが、なんかちょっとだけ早め早めで側(ガワ)っぽく感じた。あくまでほんのちょっとね。まあ狙いかもしれないけど」。
 これ「かぶせた」ことについては何もふれてない。いつの間にか記憶の中で「かぶせた」シーンの印象がひとり残りしてしまったのかもしれないなあ。ああ記憶って頼りない。

 ただそれをあえて自分の中で強引に結びつけてみると、こんな感じかな。

 反応かぶせるとこでけでなく、時間をおいて反応が出てくるとこはかぶってない形でも他にいくつかあった。その上でその時間おかれた中での気持ちの動きが落ち着くとこに至る前にタイミングが来てしまったように感じた。
 つまり演劇として必要な時間をおいたのであって、その人物が受け止めたことを消化する時間が経ったのではないように見えたってこと。

 んー「早い」と書いたのとさっきの指摘を重ねると、そういうことになるな。うんそうだな。物理的なタイミングの遅速の問題ではなく、反応性として必要な時間に対して早く感じたってことだな。
 ああ、とはいえそんな違和感はごくわずかのことで、通常なら気にもとめないところかもしれない。なのかもしれないが、なんでか今回の芝居では、そういうとこがずいぶん気になってしまったのさ。

 それは、広い観点でとらえると、もしかしたらこの劇団のイメージする「コメディ」とそのための演技文法が、まっつの思うところと違うってことなのかもしれない。

 ああそれでか。見終わっても、そして「コメディです」って言われても、いまだにコメディに思えてないもん、おれ。わ、ごく細かいとことと全体印象とが、ここでいきなりつながったあ。びっくり。

 普通に感想も書くよ。メモ数行あったので、そこに書いてたことから起こしてみる。
・「シャツ」。
・「湯呑みだけなぜ下げないか」。
・「すぐにはなんとも言えない感じ」。
・「妻役の人の雰囲気が良かった」。

 残していたメモはこれらと、さっきの「前半の小さな気づき〜〜まあ狙いかもしれないけど」というのだけ。さあ1番長いやつはクリアしたので、その他を思い出して起こしてみる。

・「シャツ」。
 これはあれです。他の回ではどうだったかわからないのだけど、ああ、もう役名とか忘れた。温水さんの役のシャツのえりがよれってたのね。それどう処理するのかとけっこうずっと思ってた。
 周りの登場人物たちはそれを完全スルーしてたのだけど、日常、そんなことってあるかよって思った。てことはなんかの布石なのかとも。
・でもあまりにスルー時間が続くので、逆になんなんだろうと思わされたのだけど、まあ強引に解釈すれば、なんか全然違う人格で出てきた温水さんの役の人が、そういう隠れた存在であることの示唆なのかとかって昇華理解できるのかもしれないけど、ええーっ、そうだとしたら、あまりに不親切すぎるしな。知性的解釈を要求しすぎ。

 まあでも演劇って受け止めるに際して、どこまでも考えられるからおもしろいのだけど、ちょっとわたくしそこは消化不良。というか消化しそこねた。シャツごときで世界は揺るがないのかもしれないから、これも重箱のすみっこ突っついてるようなもんか。

・「湯呑みだけなぜ下げない?」
 これも重箱のすみっこなんだろうけど、妻役の人が登場したとき、その前には湯呑みがあったのね。あんまり飲んでなかったと思うけど。そこに後半になってから新たにコーヒーが振舞われたのね。飛世さんがやった役の人が淹れてきた。

 そうしてなんだかんだで一段落した後、コーヒーのほうは(おそらく飲み干したということとして)下げるのね。でも湯呑みはそのまま残してたの。
 まあ湯呑みにまだお茶なりが入ってたから、ってことかもしれないけど。そんだけ時間の経ったお茶なら、やっぱ下げるんじゃないか。でもなんか理由があるのかな。そこもその後、どう決着つくのか待ち侘びてしまった。けっきょくなにも答えらしきことはもらえなかった。
 ああこれも先の2点同様の認識違いのせいかもしれない。

 そんなわけで「すぐにはなんとも言えない感じ」という総評的コトバが出てきたわけでもあるが、もう1行、書いてたことがあった。

 あ。メモの写しが読めないっっ。アンケートに書かなかったことのひとつだったし、うむー、解読すっか。「どこで知り合った、あれこれ」。なんだろう。これは台本見ないとわからないやつだな。宿題っ。

 てなわけで結局メモからも細かい話しか拾えなかったすね。

 改めて全体を観た感想を思い起こしてみると、そう、やっぱりきっちりソリッドに組み立てようという指向を感じたんだな。それはこれまでに観たこの劇団の他の作品にも通底していたことだから、そのテイストを通して受け止めたのでもある。
 けれど確かにどシリアスな、戦時ものや科学者ものに比べたら、日常には「もっと隙があっていいんじゃないか」と無意識に思ってたみたいだな、おいら。それが物足りなくて「コメディ」として受け止められなかったということか。

 わっ、ここに至ってもなんかただ同じところをぐるぐる回って書いてるだけに思えてきた。すみません。これ読まなくていい駄文だわ。でも「こやつ、こんなしょうもないことも書くやつだ」とお心得いただくために、一応載せよう。そして冒頭にこの段落を先に重複掲載しておこう。

 いや、まだ終われない。作品の内容にまったく触れてないじゃないか。細かい部分の揚げ足取りだけみたいになっている。少しは思い起こそう。

 たぶんね、結局細かいとこに気持ちが向かってしまって、あんまり受け止めて考えながら見てなかったんだと思うのだ。
 まあ「寄生虫」がメインアイテムで「夫婦」「同僚」がシチュエーションの軸になってさらされると、やっぱりそこに類比を思わざるを得ないよなあ。
 なんてチラリ思ったりもしてたはずだけど、お話が進むにつれてその点についてだんだん観る側が突き詰めさせられていったかというと、そういうこともなかったんだな。

 「寄生虫」の話題は、研究室の色合いとしてあって、あとはそういうところに妻が来ることに対して、どこから違和感を感じるべき世界観なのかってのを探ってる間に終わってたって感じだったかもしれない。
 いや、たぶん探りさえしなかった。「ああ、こういう関係もあるんだろうね」くらいの受け止め方で、何かかなり個別的な現実のひとつが提示されていて、それ以上でもそれ以下でもないような印象。
 うん、そうだな。そういう印象で受け止めていたみたいだ。
 ああ、やっぱこんなことしか書けないんだ。

 しつこい堂々巡りで、失礼っ。
 ここまでっ。

 と思ったらこれ一言も触れてなかった。
・「妻役の人の雰囲気が良かった」。
 観たあと、上記のように変なとこで堂々巡りしてたせいで、何がどう良かったかの具体的なとこを思い起こせなくなってしまった。
 とにかくそうだな、自分にとって日常的ではない場にいる外としての存在感をしっかり感じさせてくれたってことだろうな。そうだったのかどうか確信もてないけど、良かったのは間違いないのだ。

 はい、今度こそ、ここまでっ。

24.04.27 観覧直後リリース。タイムスタンプ終演時に固定。
24.05.11 観覧駄文感想追記。

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Posted by ふとまつ at 15:15│Comments(0)観覧・鑑賞場所
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