2019年04月23日
「注文の多い料理店・序」

まっつは、自分が読み語りをするときの姿勢に通じるところを感じてしまっていて、初期の頃、かなり好んで読んできたんだよね。半ば自己紹介代りにさえしていたくらいに。
どう「通じるところ」を感じてるかっていうと、つまりねー「なんのことやらわけのわからない」ところがあっても「ほんとうのたべものに」なるように読みたいってこと。うーん、そのまんまじゃないんだけど、どう説明したらいいだろう。
賢治がこの童話集の後、生前に発表した作品はごくわずか。今日知られる「代表作」のほとんどが死後、半ば発掘されるように刊行されたもの。そして彼は、それらを何度も改稿している。「永久の未完成これ完成である」との言葉が示唆するように。もしかするとそれは、「注文の多い料理店」が意に沿わず売れなかったせいという面もあるかもしれない。
でも、そんなあとの状態があるにしても、この童話集を出したときは、この序にあるように「そのとおり書いたまで」だったはずで、きっと微笑ましく送り出したんじゃないかと思うのさ。後の賢治の姿勢よりも、まっつはこの時の賢治の姿勢に組したい。
「そのとおり書いたまで」と同じように、まっつは「そのとおり読んでいるまで」というつもり。わからなくても、読んでここにある言葉の何かを伝えることはできる、と、まっつは信じていて、それがなんか彼のこの言葉とつながっていると思ってるわけですわ。とりわけ「その場リクエスト」を読むときなんて、ホントにわからないまま読み出して、読み進めながら理解していくことも多いわけだし。
ところで最近は、自己紹介的に使うことは減ってきていて、むしろこれを「読んでもらう」ことのほうが多くなっている。そして、どんな読み方をされても色あせないこの文章、やっぱり大好きなんだなあ。と思ってまっつ。
なお、札幌人図鑑 第586回の動画3 6:32あたりから3分ほどでお聴きいただけます。福津さんに改めて感謝。聴き手が見えない状況のせいだろうな、なんかちょっと必要以上にゆっくりになってる気がするけど(笑)。
[読み語り所要時間]2分-3分 続きを読む