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2024年08月20日

「走れメロス」(3)

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 今回は作品ツッコミ。
Gekido
 「メロスは激怒した」で始まるこの作品。うまいよね。その後、怒りの発端事情にいったん退いて、そこからその瞬間に向かうシーンを展開する。

 初期のソロ読みでは、下手したらこの最初からもうメロス激怒しちゃってたかもだなあ。主体と客体の使い分けがまだまだ甘かったというべきか。

 あららそれだと、作品ツッコミではなく、まっつツッコミではないか。…そんなことじゃなくて。

 最初に「?」ってなるのは、多くの人がそうかどうかわからんけど、今回改めてテスト読みしたときにも思ったのだが、セリヌンティウスを身代わりにする展開部分。あまりに簡単ですぎないか。他にもそういう指摘は多々あるようですけど。

 久々に会いにきて、でもまだ会えてないんだよ。身代わりにするとしてももう少し申し出方というか、当人への伝え方に対して配慮あっていいんじゃないか。そんな違和感。

さて本文最後に記された出典「シルレルの詩」のシルレルって、シラーのことなんだってね。あんまり海外詩を知らない人でも、シラーという名は聞いたことあるかもだよね。ベートーベン「第九」歓喜の歌の原詩もこの人。

 お伝えしたいのは、そのシルレルの詩と比較してのこと。太宰のこの作品は、シルレル作品「人質」に対して、削ったシーンより新たに加えたシーンのほうが圧倒的に多いのだけど、このシーン、シルエルでは友をメロスが尋ねて事情を説明し「人質」になってもらう展開だったのが、太宰ではそれがなくて、刑場に連れてこられた友と久々に「相逢う」のだ。

 なんだろな、これ。この割愛。自分から説明にいって身代わりになってもらうのと、もう連れてこられて身代わりにならざるを得なくなった相手に事情を説明するのとでは、相手との関係、だいぶ違わないか。太宰のメロスはセリヌンティウスに対して、「無慈悲」にすら思えてくる。いくら「単純な男」とはいえ。「竹馬の友」といえ。

 太宰は、どうしてそうしたんだろう。勝手な推論だが、太宰はそのくらいにお互い信頼できる関係を、激しく希求してたってことなんじゃないか。そしてそれはその気持ちの底に、ここに登場する王「ディオニス」と同じように「信頼への疑念」があったからこそなのかもしれない。(強引)

 ついでにいうと、シラーはこの「友」の名は記してない。フィロストラトスの名はしっかり登場させているのに。

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24.08.20 リリース。

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Posted by ふとまつ at 21:03│Comments(0)詳細情報等作品雑感
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