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2014年11月23日

「夢十夜」について2-各夜

読み語り的「夢十夜」各夜解説(爆)

「夢十夜」作品全体については
「夢十夜」について1

・全十篇のうち「こんな夢を見た」で始まるのが「第一夜」「第二夜」「第三夜」「第五夜」。後は「第九夜」が「夢の中で母から聞いた」で終わります。が、残り半分の5篇には「夢」なんて一言も書いてない。でもまあほとんどが明らかに「夢」として描かれていると読むしかないんじゃないかな。

[第一夜]
・最も有名だろうと思われる篇。「こんな夢を見た」に続いて「女がもう死にますと云う」てな文が来ます。
・終始、地の文は男性視点。でも女セリフが十篇中で最も多い。それも今にも死にそうなはかなげなコトバだからか、女性の選択が第一期では多めでした。
・文字数も十篇中最大。それに加えて時間経過の大きい内容のためか、たいてい全篇で一番時間がかかります。
・舞台は終始、男の(と思われる)家の居室と庭。そこで「百年」。
・最後の一文に、どんな想いを乗せるかで、きっと印象は大きく変わるだろうなあ。
☆読み語り初期の頃は、女セリフは女視線でやってたんだけど、最近はなんか男視線のままで女セリフを言うようになってる。

[第二夜]
・全篇中、おそらく最も緊迫感の高い篇。声を荒げるというより静かに殺気がみなぎっていく感じだけど、それでも一番、汗をかく(笑)。
・「」で括られていない和尚のコトバをどう読むか。そこらには選択の余地がありますね。
・読み語り的には、小道具である「短刀」とか、「行灯」を始めとする部屋のしつらえをどこまで具現化するかが工夫のしどころ。
・最後の一文の後に、どんなイメージを残すかってとこには、まだまだいろんな可能性がありそう。
☆これも初期には実際に座ってやったりもしてたけど、最近そのスタイルはやってないなあ。今期「夢十夜Nights」では、当たったらそのスタイルも久々にやってみようかな。

[第三夜]
・「夢十夜」が「怪談」と紹介されることもそちこちであるようですが、最も怪談らしいのがこの篇。そっち方面(どこ?)では一番有名かも。
・第二夜のような殺気みなぎる緊迫感ではなく、怪しさに浸食されて次第に切迫していく感じ。
・「背負った子供(小僧)と会話する」という状況設定が、とにかく怪談めく効果を与えているよねぇ。
・最後に百年前のことを想い出すと…、という展開は、なんで怖いのか論理的にはうまく説明できないけど、確かに怖い。
・全篇中、最も会話文が多い。
☆これは初期のころと今とで、そんなに読み方は変わってないな。身体の使い方はだいぶ少なくなってきたけど。小僧の声はちょっと安定しすぎか、たまに違う声にしてもみてもいいかなあ。

[第四夜]
・一転して子ども目線で描かれた篇。これも怪談というなら怪談だけど、怖いというよりただただ「不思議」に満たされた感じ。
・妙なじいさんに心惹かれてこっそりついていく子ども。どことなく「ハーメルンの笛吹き男」を思わせるのだが、そして確かに笛を吹くのだが、子どもは最後、じいさんと関わることもなく置いてかれる。
・その最終景をどんな風に印象づけるか、は、いろんなやり方があると思ってる。
☆「じいさん」の造型で、おそらくずいぶん印象が変わるんだろうと思うのだが、まっつはけっこう同じにやってるなあ。でもこれはけっこう鉄板な感覚。
※「神さん」は、当時の表記のあり方からすると「おかみさん」の意で間違いないと思われるのだが、ときどき「神様」の意で読むこともある。
●ちなみに、谷川俊太郎さんの「じゅうにつき」の「くがつ」に出てくる「おじいさん」のモデルはこの「じいさん」じゃないかと勝手に思ってる(笑)。


[第五夜]
・全篇中、もっとも古い時代を舞台にした篇。「神代に近い昔と思われる」とあるんだからそうでしょ。夢の話だからまあ、正確かどうかは問題ではないけど、そんなもんかなと思わせるのはさすが。
・語り手である男と、彼を捕えた大将との対峙シーンから、一転してそのままの語り口で遠くの女を描く。
・その視点の移動も大きいけど、よく読むとそこまでにも当事者としての語りというより解説挿入的な部分がけっこう入っている。
☆そんなわけで当事者目線で読むときも多いけど、ときどき第三者目線でやってみたりする。

[第六夜]
・「鎌倉時代とも思われる」ような場所に運慶がいる。木の高いところにいて「仁王を刻んでいる」らしい。「ところが見ているものは」「明治の人間」。
・そうしてもっぱら見物視線から運慶の様子を描ききるのかと思わせつつ、意外にも途中でその場とはお別れ。「急に自分も仁王が彫ってみたくなった」のだ。
・そんなわけで最後の場面では、「明治の木にはとうてい仁王は埋っていない」と悟る。悟るのは悟るでそれでいいのだが、その締めが「それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」。読者としても一瞬「解った」気になるのだが、よくよく考えると理屈は通ってない。
☆読み手としてはしかしだからこそ、どれだけ「解った」気にさせるかだよなと思ったりする。

[第七夜]
・舞台はさらにここまでの作品と毛色の違う場が舞台。船である。「けれどもどこへ行くんだか分らない」。
・終始、地の文は当事者スタンスで展開。そして「つまらないから死のうとさえ思って」いく。
・登場して何かを言う人の数は、全篇で一番多い。
・ただねー「」で括ってるセリフと、そうじゃないセリフとが混在しているのがちょっとひっかかるんだよねえ。
☆ひっかかるけど、まあセリフだろうと言うのは通常セリフ的に読んでいることが多いなあ。
☆これも最後の一文をどう聴かせるか。そこに至るまでに何を積み重ねるかが大きい篇だと思う。「どこへ行くんだか分らない」船に、それまでにどれだけリアリティを積み重ねるか。


[第八夜]
・一転、日常的な場(であったろう)、床屋が舞台。
・全体を通じて「鏡」に映る「窓の外を通る往来」を気にする当事者視線で描かれている。
・最後に「帳場格子」の「女」が見えるのだが、そこから急に「不思議」が立ち上がる。
・そして「金魚売」。
☆最後の一文で、この金魚売をどんな風情で「眺めている」ようにするか。その振り幅は多分、全篇中一番大きい。つまり一番捉えどころがない篇(笑)。

[第九夜]
・これまた一転して、今度は終始、第三者視線で描かれた篇。唯一、女性が主役のお話と言ってもいいだろう。
・ときどき地の文は主役から目を離し、あたりにある物を「面白い」などとも語ってしまう。
・そのくせそれは「夢の中で母から聞いた」話だって最後に締めるんだよね。この最終文とその前の文で二段落ちだよね。
☆クライマックスの「お百度参り」シーンには、主役のセリフは出てこない。まあだから第三者視線の地の文ながら、主役の心境をつい忍ばせたくなる。そうやってることが多いのだけど、もっと見守る側でいてもいいんだろうなあ。

[第十夜]
・全十篇中、唯一、笑いが出ることのある篇。まあ「くすっ」程度だけど。
・そして「第八夜」に登場した固有名詞の人物「庄太郎」が主役という、他の篇にはない特徴がある。
・とはいえ筆致は第三者視点。第三者だけど知り合いスタンスなのも特徴的か。
・ここに出てくる「女」は、しかしかなり怪しい。そしてこの篇ではセリフ的表現にまったく「」がない。
☆この「女」をどう造型するかってのが、読み語り的には一番の工夫どころかも。
●読者としては、第八夜に出てくる庄太郎の「連れ」の「女」と、この篇の「女」を同じと読むのも許されるだろう。しかしまあ、一貫して一人で読み語っても、そこを表現するってのはムリ。


 と、こんなふうに全十篇を改めて解説風スタンスで見てきたら、あらあら、第一夜と第十夜、最初と最後の篇が共に、「女に何か要求されるお話」だったんですねえ。

14.11.23 リリース

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