2024年09月22日
乱歩組曲・250406大幅加筆

夜はこちらへ。
称賛に値する大仕事。
ひとまず
(大幅追記/24-10-20下書き・25-04-06リリース)
当日主ブログに上記のように書いたのだけど、
その意味するところの解説から始めようか。
「称賛に値する大仕事。」
・目撃する前はとにかく、まっつが大絶賛いたしました「人間失格」(鴉海さんすみさん2人のイベント)でのコラボのすごさが、果たしてまた起こるのかって期待感だけだったのだけど、つぶさに受け取るにつれ「これは大変な仕事だぞ」と思い始めて、そのあげく上記のような一言になった次第。
・進めば進むほど、3人コラボには2人とは次元の違う難しさがあることか実感されたのだ。そしてその難しさ自体が目前に溢れ出ているという印象が、だんだん強くなっていき、しまいには「もう作品など問題ではない」という受け止め方にすらなっていったっぽい。
・まずは、最初にしばらく音楽だけが鳴っていた時間、それは1作品めのオープニング音楽と受け止めてたんだよね。しかし「長いな」。そう思ってプログラムをしっかり見つめ直すと、最初が「人間椅子 guitar」だった。ギター演奏だけの時間だったんだあ。気づいたものの後の祭り、それを独立してその作品と意識して聴く時間はもうあんまり残ってなかった(たぶん気づいたときから3分くらいで終わったはず)。
・しかも1作品めの終わりに一度音楽が止むこともなく次に進んだ。その2作品めは「人でなしの恋 guitar/butoh」。シームレスな移行を意図したのではあろうけど、作品が切り替わっていることを受け取ることはあんまりできなかったな。
この2作品め自体は、象徴的な箱使いもあり、物語を知ってる自分としては作品印象と折り重なって、でも独特の表現もあって、おもしろさも感じられた。でも1つめにしてもこの2つめにしても、作品知らない人にはいったいどう聴こえてるんだろうか。なんて余計なことも後から思ったりした。
・そして続いて「指」、3人3種コラボに進む。ところがそこに至る前、まだ前作品進行中にマイクセッティングが入ってきたのだ。日常的なスタンスからすると「邪魔しないように」振る舞っていたとは思うのだけど、本番中の舞台の中だよ、暗転中の作業レベルの気の使い方じゃだめでしょ。どうせ剥き出しでやるなら、それを踏まえた所作(リズムを壊さないようにとか、展開が映えるようなタイミングで動いたり止まったりするとか)の工夫をしてほしかった。なんかそのセッティング作業の空間だけが日常空間に戻ってしまって、作品世界は三分の一くらい瓦解してしまったと思う。セッティング作業をする人の感覚にお任せしただけだったんじゃないかな。それは企画を裏切っていたと思う。
あとで考えたら、何か不測の事態があってのことなのだろうとは思ったけど、だったらそのことを断り入れるくらいすべきではないか。
・そしてそこまで振り返って、これを改めてまとめている今(24-10-20段階)思う、おそらく3人の間の交感作用も、それに似たそれぞれに「お任せ」的なものだったんだろうということ。それはきっと「人間失格」でもそうだったとは思うのだけど、そこで「2人」と「3人」の大きな違いが立ち現れてきたのだと思う。
・2人なら即興としての相互作用はそれぞれ対1人。そこで相互に交感共有して観客に届けていくことができる。相手に向かう受け取るをそれぞれが1人に対してとらえることになるので、それらを数えると2×2=4。ところが「3人」になると、それぞれが対1が2人相手の生ずるので3×2×2=12(3人がそれぞれ2人に対して双方向の交感共有をはかる)。まあ違う捉え方で計算しても、やっぱり3倍になる。問題はそれだけでなく、実は暗に陽に「1対2」という交感関係も時折発生するってことだ。
・「指」では途中読み手が身体的にも舞踏手と交感し始めたから、観客にとっては「音楽」と「舞台」の交感関係が生まれていたし、次の「日記帳」ではもっと明らかに2人は「演技」領域に入っていたから、もうほとんど音楽は「劇伴」にならざるを得なかっただろう。
・で、大変だったろうと思うのは、その上で、特にその1対2の図式が「音楽」とそれ以外に明らかに見えてきてしまっていて、ところがそれに呼応する「舞踏」と「語り」の側も、それぞれ個別の対応で「音楽」と交感している(しようとしている)ように見えてきたんだよね。「演技側」として一体になって対応するというのではなく。即興だからそうなるのも当然か。
・そこらなんだよな、舞踏が音楽に呼応しようとすると語り演技がほっとかれる。舞踏と語り演技がシンクロすると、その継続に夢中になって音楽はあまり聴こえなくなっている(のではないかと推察)。
・これ「音楽」がほとんど止むことなく続いていたことにも遠因はありそう。交感関係のシフトが明確にしにくくなるはずだから。
・確か「白昼夢」の途中でようやく一度「音楽」が止んで、そこからは舞台に集中できたと思った。
・ただ後半に入ってからは、3人としての相互の受け止め方になめらかさが出てきてたようにも思えた。だからそれで集中しやすくなったのであって、音楽の有無のせいではなかったのかもしれないけど。
(25-04-06締めくくり)
・てなわけで、わたくしにそういうことなんかを気づかせてくれるということも含めて、「称賛に値する大仕事。」だったのでありましたが、その解説からっていう加筆だったのに、結局、すべて解説としてまとめてしまった次第でした。いやー、こんなの最後まで読んでくれる人なんているのかなあ。
でも、あーすっきりした。
続きを読む
2024年09月22日
北翔舞台芸術2年試演会「箱の中の4人」1020追記

すごいホンで驚いた。その魅力が体感できるくらいの大健闘。見れて良かった。え、まだ2年生だよね。こっちも頑張らなきゃ(謎)
2024-10-20大幅追記
[なんか変則的な感想スタイルになってしまって失礼]
・当日のアンケートに書きたいことが多くて、近年まれにみるほど字数書いてた。
・それでもアンケート書く時間には、前半のことまで気が回らなかったりしたので、その後の思い起こししての補足や追記を加えた。
・さらに1ヶ月経ったこの追記現在の改めての感想も書いてみる。補足的にしかならなかったけど。
<アンケート記載感想>
すごいホンですね。さいごの15分ちょっとで四転五転六転する展開に。会話劇なのに目も頭もクラクラしちゃいました。そこまでのぶつかりあいだけでもう満足してたとこにそれだから、ちょいと消化不良食い過ぎな感じ。演じるのも大変だったろうな。聞いているときのありようとか、すごく紆余曲折して探してきたんだろうなと、その苦労がしのばれます。おつかれさまでした。
<同日夜の校正的補足>
「消化不良食い過ぎ」⇨もっぱら見てたこっちのありようで、やってた側についての言葉じゃないです。ここではあくまで観たこっち側の反応として「消化しきれなくてすんません食い過ぎに思うくらいの展開の嵐でした」という意味。
「紆余曲折して探してきたんだろうな」⇨「迷った後が見えるよ」という意味にもさられそうだけど、全くそういう意味で書いたわけじゃない。「紆余曲折右往左往して落とし所をずっと探ってたんだろうな」というむしろ賛辞です。
<記載アンケートに書かなかったことを思いだして。同日深夜>
・感想書く段階ではもう忘れてたんだけど、最初20-30分くらいは動きの少ないわかりやすいやり取りが続いたので、ちょっと疲れた身体が眠気をもよおしたりもしていた。それが後半だんだん言葉同士の戦いが激化していった、そのテンションの激しさ強さにけっこう動かされて満喫してた。そこからの四転五転六転タイムだったのだ。
・後半の回り出した時間帯になってから、1年のとき経験値高いなと思ってた2名ほどが、なんだか受け演技を無難な線にしてしまっているように感じた(一部出し演技も)。不満というより「そこもっといけるでしょ」「いきたいでしょ」っていう気持ちになってたんだと思う。
<1ヶ月経っての思い起こし感想。これも補足にしかならないけど>
・記録残しといてよかった。「すごいホン」って脚本のことだけど、終盤の食い過ぎになるくらいの転がる展開は数が多くてもう思い出せないけど、ひとつだけとても印象に残っているのが、最後、ひとりだけ入り口じゃないほうに出てったのが、確か「結婚の約束をした」人だったこと。「誰かひとりはその前の合意通りにそっちに行くんだろう」と予想してはいたけど、今思うとその人であったことでなんか世界が広がって終わったように感じてたかもしれない。そのように記憶してたのでも見た直後に意識していたのでもなく、振り返ってみたらそのように再体感できるという具合。観たときに自覚してなかったことも、後からでも浮かんでくるって、けっこうすごいことだな。
・同じように、そういえば4人がそれぞれ他の事情に振り回されていくのだけど、それがどんどん「個」の個別性を際立たせていく流れにもなってたというか、確かにひとりひとりがしっかり造形されてたなという印象も残ってる。 続きを読む